小学生の頃は、よく友達と探検ごっこなどして遊んでいました。一度、深い穴(首近くまで水があった)に落ち、危険な目にあったことを覚えています。
情熱先生との出会い
遊んでいたばかりの記憶が多かったですが、小学4年生の時の熱心な担任の先生のことは、今でも強烈に覚えています。
一度、その担任の先生の元学校の授業参観に行って、子供たちみんなが授業中熱心に意見や質問している姿をみて衝撃(負けた!)を受けました。
これぞ青春高校の演劇部!
小学校の頃は野球、中学は卓球、高校は最初新聞局と生徒会に入り、1年生の終わり頃に演劇部に入りました。
最初に役をもらったのが貧乏薬剤師の役で、相手役の可愛い同級生の女の子と恋仲になるシーンがありました。
今でもドキマキしていたことを覚えています。
高校の演劇部で、男女の仲間と一緒に物事を創っていく楽しさを学びました。
大学(北大)では、ユースホステル研究会に入り、その中でサークル誌を発行する編集長を務め、大変苦労しました。
電通へ就職
就活は、4年生になってから始めました。2番目の兄が家業(町村農場)を継ぐことが決まり、3番目の自分が継ぐことはないと考えていました。
新聞記者になりたいということもありましたが、採用試験日が重なり、内定間近の電通に決めました。
電通では、ラジオ関連の配属でした。テレビと違いスポンサーを見つけることが大変で、その分たくさんの企画書を書きました。企画した番組が放映されるととても嬉しかったです。仕事量は多かったですが、楽しい職場でした。今の経営の財産になっています。
突然の兄の事故死
30歳の時に兄が事故で亡くなりました。自分が町村農場を継ぐしかありませんでした。
2か月後に結婚を予定していましたが、一度御破算にしました。それでも妻は、北海道に一緒にきてくれるということで現在に至ります。
土づくり 草づくり 牛づくり~創業者の想い
町村農場を継ぐといっても何をどうやったら良いのかさっぱり分かりませんでした。
場所も現在のところに移転したばかりで、兄のプランとかストーリーも何も分からない状況でした。
兄は、新しいやり方を学ぶために1年間アメリカに行きました。それで、現在のところに移転しました。ちなみに、創業者の祖父町村敬貴は、10年間アメリカで学びました。
新しい移転場所は、立って搾乳作業ができたり、バイオガスプラントを利用して、再生可能なエネルギーを生産できるようになり、臭いの問題もなくなりました。
チャレンジし続ける日々!
37歳で社長に就任して、現在江別札幌の他に東京、神奈川、大阪にも店舗があります。
失敗することもありますが、チャレンジする毎日です。
子供たちへ、生き抜く力(知恵)を付けて
欲しい。そのためには、たくさん若い内に
体験して欲しい。
社名 株式会社 町村農場
設立 1966年4月13日創業
代表取締役 町村均
所在地 北海道江別市篠津183番地
TEL 011-382-2155
URL http://machimura.mimoza.jp/shop/ebetsu.html
事業概要 乳製品の製造・販売
町村農場直営ショップ 江別ミルクガーデン、札幌藻岩、札幌円山、札幌大通公園
横浜みなとみらい、東京丸の内、大阪EXPOCIYY